現在2023年6月6日21時14分である。(この投稿は、ほぼ2021文字)
麻友「太郎さんのお父様、ブログ読んでいたら、気付いたでしょうね」
私「スマホしか、持ち込んでいない。しかも、眼底がよれたような状態になっていて、小さい字が、読めない。私は、アマゾンの、Audible を、提案したのだが、ケチな父が、聞くかどうか、分からない」
麻友「その後の経過は?」
私「検査結果は、比較的良くて、明日(2023年6月7日)退院できるという。ただ、1週間後に、もう一度入院すること。と、クギを刺されている」
麻友「それは、どういうこと?」
私「誰が考えても、「最後に、娑婆で、羽を伸ばしてこい」という意味だよね」
麻友「そうなのね」
若菜「登場しづらいですが、出てきました。お母さんは、どうすれば良いのでしょう?」
私「父は、非常に、言葉の少ない人間だ。その上、耳も遠く、1回で聴き取れないと、すぐ腹を立てる。麻友さんが、例え会っても、会話は成り立たないだろう。だが、結弦にしゃべっている言葉を聞いていて、ひとつヒントが、浮かんだ。映画の特殊撮影の仕事を望んでいた頃、父が結弦に、『我が家の全員が、面白いと思っている映画に、『明日に向かって撃て』という映画がある。あれを、面白いと思えない人間は、私の家族ではない』と、言っていた。どういうことを、言っているか、分かるだろうか」
結弦「僕でなく、お父さんの甥御さんね。そうか、『明日に向かって撃て』、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード。『スティング』も、この2人だよね」
私「『スティング』も、家族で観て、みんな面白いと言った」
麻友「お父様のお気に入りは、『12人の怒れる男』だったわね」
私「麻友さんのお気に入りの、ミュージカルだったら、『サウンド・オブ・ミュージック』なら、大丈夫だ。だが、あまりマニアックなミュージカルは、無理だ。『サウンド・オブ・ミュージック』の歌を、麻友さんの声で、歌ってあげたら、喜ぶだろう。私の家族は、あの映画は、暗記するほど観ているから」
麻友「太郎さんの数学や、物理の話に、話題が向いたら?」
私「それは、危険信号だ。数学=物理学=太郎=女の子と、父母の頭の中では、回路ができてしまっている。目の前にいるのも、女の子だ。もう29歳で、女の子という歳ではないが、今年82歳になった父から見れば、やっぱり女の子だ。また、太郎が、気が狂う。父母にとって、そういう思い出しかない」
麻友「あまり、太郎さんの話は、するなと」
私「その方が、無難だ」
麻友「ところで、気になっているのよ。5月21日から、太郎さんが、薄い文庫本を、1冊、持ち歩いている。それは、何?」
私「これは、もう知っているだろうが、朝永振一郎の短編集で、放送大学にいたとき、面接授業で、何も教えてくれなかったんだけど、ひとつだけ本を紹介してくれた、女の先生がいたんだ。その先生が、「この短編集にある『光子(みつこ)の裁判』という短篇を、読んで下さい」と、言ったんだ」
麻友「朝永さんなら、『光子(こうし)の裁判』じゃない?」
私「その仕掛けは、とっくに解いてあった。『みつこ』が、正しいのだ。あるページで、納得していた。ところで、
を、買ってあっただろう。私も2026年という期限を切っている、量子コンピューターの開発は、大丈夫なのかなあ? と思っていた。5月17日、駅ビルの CIAL のくまざわ書店で、これを見ていて、量子コンピューターと共に、誰もが不思議に思う、量子力学特有の問題も、解決しようとしている人の、野望を知って、『量子コンピューター応援するぞ!』と、心機一転した。その量子力学特有の問題というのは、朝永さんも不思議に思って、『光子の裁判』という短編を書いた。でも、麻友さんには、これは、難し過ぎる。だが、それは、『量子力学の冒険』にも、書いてあるのだ。これだ」
私「これは、旧版の『量子力学の冒険』のふろくとして、付いている。残念ながら、新版では削られているが、52ページ辺りに、少し記述がある」
こちらが、旧版
こちらが、新版
麻友「それで、朝永さんの短編も、読んでみようと思ったのね」
私「麻友さんの側から、私と一緒になると、言ってくれたら、1週間のどこかで、父と会ってもらえるように、できる」
麻友「分かったわ」
私「じゃ、解散」
現在2023年6月6日23時34分である。おしまい。
補充
一応、『量子力学の冒険』の新版の説明も、載せておく。
(新版52~55ページより)